今日は、ここにするか。
私は、そうつぶやくとイスの上にそっと腰を【おろした】。
どこからともなく少年が現れた。
絵描きが珍しいのか、少年は、興味深げに私に話しかけてくる。
おじさん、絵を描くの?
…見てていい?
好きにしろ。
私は無愛想に返事を返しながらまっしろなキャンバスを前にぐぐぐっと腕を【まくった】。
絵の具よりも先にパンを取り出す。
私はいつも絵を描き始める前にかたわらにパンを用意しておくのだ。
腹が減ってから準備をしていては、絵を描くための集中力を切らしてしまうからだ。
…食べるか?
そう問いかけると、少年は嬉しそうにうなずいた。
私はいつもより多めにパンを霧、たっぷりとバターを【ぬりたくった】。
おじさん、食べないの?
ああ、あとで食べる。
準備をしながら少年に返事を返す。
鉛筆、パレット、絵の具、油壺…そして絵筆。
これで準備は整った。
まずは下書きからだ。
私はキャンバスの中心を見定め、削ったばかりの鉛筆を【こすりつけた】。
何度も鉛筆をこすりつけるうちに、キャンバスには風景の輪郭がくっきりと浮かび上がってきた。
少年はパンをくわえ、鉛筆の動きとキャンバスをじっと見つめていた。
ふーっ。
よほど見入っていたのだろう。
私が下書きを終わらせたとき、ため息をついたのは少年だった。
いよいよ色を塗っていく。
いくつかの絵の具をパレットに出し、好みの色になるまで【かきまぜた】。
パレットの上では、みるみるうちに色が生まれていく。
手を動かしながら、私は少年に話しかけた。
絵が好きか?
うん!
少年の純粋な返事を聞くと、不思議と筆に力が入る。
時には優しいタッチを出すためにキャンバスをそっとなでるように絵筆を滑らせ…
時には荒々しいタッチを出すために渾身の力を込めて叩きつけるように絵筆を【ふりあげた】。
いよいよ完成が見えたという頃、腹の虫が鳴き始めた。
突然のことに少年はきょとんとした顔をしている。
私は用意しておいたパンを手に取り、口へ運んだ。
おいしいでしょ?
毎日のように食べているパンだが、なぜか自慢げな彼のせいだろうか不思議といつもよりおいしく感じる。
ああ、うまいな。
そう言って私は、手元のパンをさっきより勢いよく【かじった】。
腹を満たし、またすぐに描き始める。
しばらく無心で描き続け、完成間近というところまできた。
すごい!綺麗な絵!
いや、まだだ。
まだ最後の仕上げが残っている。
…最後の仕上げ?
私はこの絵に対する想いを込めて、一筆一、丁寧に、丹念に、繊細に、すこしずつ絵に命を【ふきこんだ】。
完成した絵は、これまでに描いたどんな絵よりも生き生きとした自身の最高傑作となった。
自画自賛とは、まさにこのことか。
いや、あるいは…。
私は、感謝の気持ちを込めて、その絵を少年に託すことにした。
おじさんは荷物を片付けるとボクに完成した絵を手渡した。
ボクもこんな絵を描いてみたい。
こんな絵をかけるようになりたい。
それからというもの、ボクの夢はおじさんのような絵描きになること。
まだまだ道のりは長そうだけど、おじさんは待っていてくれるかな。 ページ
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